top of page
  • 執筆者の写真Yuko NITTA

美白化粧品と人種問題



 全世界で人種差別に対する抗議運動が続く中、化粧品業界にも影響が出ています。

 

 日用品・食品大手ユニリーバ(本社・ロンドン、オランダ・ロッテルダム)は25日、スキンケア製品から「色白(フェア/フェアネス)」「美白(ホワイト/ホワイトニング)」「明るい(ライト/ライトニング)」といった表現を削除すると発表した。「美に対するより包括的なビジョンをめざす」としており、反黒人差別運動の広がりに配慮したようだ。


2020年6月29日朝日新聞デジタルより引用

 

 人種差別に反対する動きにはもちろん賛成ですが、この「美白」が人種差別を助長するという見解は、少なくとも日本には当てはまらないように思います。日本人のいう「美白」は、決して白色人種のような肌色になりたいというものではなく、黄色人種であることを前提としたうえで、白く透明感のある肌になりたい、シミや肝斑などをなくしたいというものであるはずです。歴史的に見ても、日本では平安時代から白い肌は美しいものとされていましたが、当時日本人は白人も黒人も見たことはなかったので、美白願望は人種差別とは関係のないものであるはずです。


 このような日本独特な状況をふまえると、この議論を日本にそのまま当てはめるのには違和感があり、日本においては、日本の美意識の文脈で、美白化粧品は存在し続けてよいものではないかと思います。


 しかしながら、関連して思い出したのは、ニューヨークに住んでいたときに、インド人の友人から「私は肌色をもっとフェアにしたいから、日本のホワイトニングの化粧品を使っている」と言われたこと。その時にまず思ったのは、「綺麗なブラウンの肌なのになぜフェアにする必要があるの?」ということ、次に「日本のホワイトニング化粧品は透明感を高めることはあっても肌色自体は変わらないのでは?」ということでした。その時は、その友人の個人の美意識としてフェアな肌になりたいのかなと思ったのですが、しばらく後に、インドではフェアな肌色をより階級の高いものと考える傾向がかなり強くあるということを知り、日本の化粧品もそのような用途に使用されていると知ると、少し複雑な気持ちになりました。


 日本は単一人種の国なので、諸外国のような人種差別は生じにくく「美白」持つ意味も、日本独特のものです。しかしながら、世界的に見ると、「色白(フェア/フェアネス)」「美白(ホワイト/ホワイトニング)」「明るい(ライト/ライトニング)」といった表現は、やはり人種差別を助長したり、肌の色の間にヒエラルキーを作ることに寄与してしまう部分があるのかもしれません。日本の化粧品会社が美白商品を海外でもマーケティングする場合には、このような影響にも配慮する必要があるのだろうと思います。

bottom of page